井伊家ゆかりの地

大河ドラマ「おんな城主 直虎」で一躍注目を集めている井伊直虎、そして彦根藩初代井伊直政をはじめとする井伊家にゆかりの深いスポットをご紹介します。

龍潭寺 りょうたんじ

元和3年(1617)、彦根藩2代藩主直孝のときに建立されました。井伊家の出身地である井伊谷(浜松市引佐町)の龍潭寺五世昊天が住職として迎えられました。佐和山城への登山道途中の墓地に、新野左馬助親矩の墓があります。江戸時代後期に新野家は井伊直弼の兄親良によって再興され、親矩の墓が建立されました。

長松院 ちょうしょういん

彦根城築城以前、長松院のある辺りには善利川(現在の芹川)が流れていました。
井伊直政は慶長7年(1602)、佐和山城で死去し、善利川の河原で荼毘に付されます。
井伊直継は父を荼毘に付したところに、直政の戒名「祥壽院殿清凉泰安大居士」から、祥壽院という禅堂を創建します。そして祥壽院は後に「萬年山長松院」と改めて現在に至ります。墓地には、「井伊直政公化火委骼之處」の石碑があり、現在も供養が続いています。また、井伊直政公没後300回忌に描かれた「井伊直政公出陣之絵図」も残っています。

天寧寺 てんねいじ

京の名工駒井朝運を中心とした仏師が刻んだ五百羅漢の寺として知られています。彦根藩11代藩主井伊直中が文政2年(1819)、彦根城下にあった宗徳寺を移し天寧寺として建立しました。前身となった宗徳寺は、2代藩主直孝が初代直政の生母の菩提を弔うため、明暦年間(1655〜1658)彦根城下の上藪下(京町3丁目)に建立しました。寺号は直政の母の戒名「永護院殿蘭庭宗徳大姉」からつけられています。

清凉寺 せいりょうじ

慶長7年(1602)井伊直政が関ヶ原合戦の鉄砲傷がもとで亡くなったとき創建された井伊家代々の菩提所です。寺号の清凉寺と山号の祥壽山は、直政の戒名「祥壽院殿清凉泰安大居士」によります。また、創建地は石田三成の家臣島左近の屋敷跡といわれています。

宗安寺 そうあんじ

宗安寺の始まりは上野国安国寺で、井伊直政が上野国箕輪城主となったとき、正室東梅院が両親の菩提を弔うために復興。箕輪から高崎、更に佐和山山麓に移され、正室両親の戒名を一字ずつとって寺名を宗安寺としました。そして彦根の城下建設当初、現在地へ移されます。寺の赤色の山門は佐和山城の大手門を移築したといわれています。

江國寺 こうこくじ

宗安寺の西側にあり、本尊の聖観音は平安時代の作といわれています。朝鮮通信使が彦根に滞在したときには、長老宿となりました。山門の扁額を揮毫したのは、明暦元年(1655)、第六回朝鮮通信使の写字官として彦根を訪れた雪峰(金義信)です。また、井伊谷の龍潭寺本堂と山門の扁額も雪峰の書です。わざわざ井伊谷から彦根に滞在している雪峰のところへ揮毫の依頼に訪れ、書を持ち帰ったといいます。

瘡守稲荷 かさもりいなり

もとは常陸の国の笠間稲荷社(茨城県笠間市)を、井伊直政は上野国箕輪に勧請していました。直政が佐和山に移ったときに、城の鎮守稲荷として祀ったとのだと伝わります。彦根城内にあったため、庶民は参詣できませんでした。