彦根城と特別展

佐和口多聞櫓 さわぐちたもんやぐら

「いろは松」に沿った登城道の正面に佐和口があり、その桝(ます)形がたを囲むように築かれているのが佐和口多聞櫓です。佐和口は南の京橋口、西の船町口、北の長橋口とともに中濠に開く4つの門の1つ。表門に通じる入口として、大手の京橋口とともに彦根城の重要な城門の1つでした。
重要文化財となっている佐和口多聞櫓は、佐和口に向かって左翼に伸びており、その端に二階二重の櫓が建ち、多聞櫓に連接しています。多聞櫓は長屋のような形が特徴的な櫓の一種で、「多聞」の名は戦国武将松永久秀(まつながひさひで)の多聞城(奈良市)で初めて築かれたことに由来すると伝えています。佐和口の多聞櫓は、佐和口の桝形を囲むように二度曲折する長屋となっています。この櫓の内部は7つに区画され、中堀に向って三角形「△」と四角形「□」の狭間(ざま)が交互に配置されています。
現存する多聞櫓の右端は切妻屋根で不自然に途切れ、石垣のみの空地が広がります。

かつてこの地には二階二重の櫓門が桝形を見下ろすように架かっていましたが、明治初年に解体されてしまいました。 空地はその名残りです。ちなみに桝形より右翼に伸びる長大な多聞櫓も同時に解体され、現在の櫓は昭和35年に開国百年を記念して復元されたコンクリート造りの建物です。
佐和口多聞櫓の建立について詳しいことはわかっていませんが、彦根城がおおよその完成をみた元和(げんな)8年(1622)までには建てられていたと考えられています。 その後、明和(めいわ)4年(1767)に城内で発生した火災で類焼し、現在の建物は明和6年から8年にかけて再建されたものです。