彦根城と特別展

太鼓門櫓 たいこもんやぐら

本丸にそびえる天守を目の前にした最後の門が重要文化財の太鼓門櫓です。門櫓の南には、「く」の字に曲がった続櫓が付設されています。この門櫓は、建物の背面の東壁面が開放され、柱間に高欄(手すり)を設置して1間通りを廊下にしています。
櫓にはたいへん稀な例で、一説には名称となっている「太鼓」が櫓の中に置かれ、その太鼓の音が広く響くための工夫とも考えられていますが、明確ではありません。

太鼓門櫓も、天秤櫓・西の丸三重櫓、そして天守などと同様に、築城時にほかの場所から移築された建物です。長い間、太鼓門櫓は、彦根城築城以前に彦根山の山上にあった、彦根寺の山門を移築したものと考えられてきました。彦根寺は観音信仰の寺として広く知られていました。彦根山に向かって西に伸びた「巡礼街道」は、かつて、彦根寺へ多くの都人が参詣したため付けられた名称ですが、こうした観音霊場では納札を寺の建物などに打ち付ける習わしが古くからあります。太鼓門櫓には門の柱に古い釘穴がたくさん残っており、これらの釘穴を納札を打ちつけた痕跡と考えて、彦根寺山門の移築説が生まれ、広く流布していたようです。

ところがこの説は、昭和31年から32年にかけて行われた太鼓門櫓の解体修理工事によって否定されました。解体修理に伴って実施された建物部材調査により、移築前の建物も、どこかの城の城門であったことが判明したのです。しかも、かつての城門は規模が大きく、それを縮小して今日の太鼓門櫓としていました。ただ、それがどちらの城の城門だったのかは、今も謎のままです。